「理性の限界」を読んだ
イントロ
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
- 作者: 高橋昌一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/06/17
- メディア: 新書
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人間の「理性の限界」について、色々な角度からディスカッション形式で話が進んでいく。
途中「ハイゼンベルクの不確定性原理」や「ラプラスの悪魔」といった物理学の面白い話がでてきて、大学が物理学科の私は思わずニンマリ。
本を知ったきっかけ
part16後編のニコニコ市場を見たら、自分の持ってる本が入っててびっくりした。
「理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性」は意外な発見があって面白いのでおススメ。特に、アローの不可能性定理は目からウロコでした。
http://t.co/UGvCN7ozKs
— なるしす (@kurodataro) 2014, 9月 14
最近ニコニコ動画の
3つのボタンでカービィボウル
という動画を見てしまった。
動画は勿論面白いんだけど、作者がすごい人だなと思っていて、彼がオススメするならって記憶に残っていた。
個人的な動機
読んでみようと思った理由はそれだけじゃない。
より合理的で、理性的に判断できるようになりたかったから、というのもある。
合理的な判断とはナンゾヤ、という話もあるけど、「今、自分は落ち着いていて、冷静に考えているか」ってこと。
常に意識したいことの一つです。
そういう基準や客観性をどうやって評価するか、維持するか、ということに興味があった。
背景
自分が「こっちのほうが良いんじゃないかなぁ」と考えることが、相手は「あっちのほうが良い」と思うことが、往々にしてある。
日常生活レベルの話なら「個性」と言い換えることができて、結構面白い。
けど合理的な判断を求められる仕事でも起こりえて、こちらは途端に厄介になる。
時に感情的な判断をしがちで、環境によっては到底理性的とは思えない判断をすることがある。不思議なことに。
でも仕事とは限らずに、自分もそういうことはあるし、他人を観察してそう思えることもある。
振り返ると「なんであんなことを」と思うけど、実際そういう時は客観性を失っていて「感情的になっていること」自体に気づかなかったり、あるいは気づかない振りをするものだと思う。
動機の動機
自分は冷静だと考えているけど、相手が感情的になっている場合。人によっては説得しようとすることが逆効果なこともある。
自分の説明が下手なのかな?と思ったけど、なんだか納得してくれているようには見える。でも相手の主張は変わらない。
そんな不思議な体験をした。
きっと自分が感情的になっている事に気づいていないからだろう、と思われる。
そんな時に「相手が自発的に自身の客観性を認識するためには、どうすればよいか」「自分は冷静になっているつもりで、実は論理的な説明ができていないのか?」という悩みを抱える事になった。
難しい。
本を読んで
「理性的とはナンゾヤ」という話にあまり触れず、相対的な議論が展開される。
「◯◯という方法は××という方法より、こういう理由で理性的だ」という感じ。
だから客観性をどうやって評価するか、という疑問の答えにはならなかったけど、ヒントにはなったし、単純に読み物として面白かった。
「神の非存在論」はなるほどなーという感じ。「神は理性では認識不可能」って結論は興味深い。
認識不可能だけど、神様という概念をほとんどの人間が理解していたり、或いは創りだしたりする。
神様 SUGOI
そんな神様を創れる人間はもっと SUGOI