読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

scramble cadenza

技術ネタのガラクタ置き場

責任を明らかにすると安心する人

小さいころの経験談だが、学校の先生が「誰が誰々を泣かせた」と言って、学級委員会を開いた。
それで帰りが遅くなり、毎度イライラしたものだ。

その委員会で、先生は犯人を見つけて叱る。それで終わり。何の意味があるのだろう?
泣かせたのが問題だとしたら、理由を聞いて、今後は同じことが起こらないようにすべきでないだろうか。

会社に入っても同じことが起きている。

どこ」に問題が起きているかより、「誰が」問題を起こしているかを非常に気にする人種がいるのだ。
理由を聞くと「顧客に説明できるから」だそうだ。
うちが障害の原因じゃないということを、説明したい、とも言っている。

何故、それが説明になるのか? そのように説明することが、顧客にとって何のためになるのか?
当然の疑問を誰も口にしない。不思議だ。

何が起きているの? に対する回答が、「どこどこで障害が発生しておりまして…」とは、一見説明になってるように思えるかもしれない。
けど、「で、だから何?」と思われないのだろうか。

顧客が知りたいのは、じゃあそれがいつ頃復旧するの? ではないだろうか。
少なくとも「誰が」ではない。何時?もしくは何故?だろう。

それでまかり通ってるのが不思議だ。あるいは通ってると思い込めるのも。
頭がおかしいのかもしれない。自分が。